2012年9月6日木曜日

中国と歴史について思う事


4千年の歴史を有する中国を私は尊敬しています。

特に「漢字」とそれにより詳述された「歴史」は世界史においてローマ史に比肩されるほど優れた遺産と言えます。

中国の歴史では、易姓革命により前王朝が倒され、新王朝が現れることを繰り返しており、日本のように皇統が続くことはありません。

参考
中国の歴史は幾たびも王朝が変わりましたが、政治システム(統治機構)はまったく変わることはなかったため、革命により変わるのは王朝の「姓」だけということで、ヘーゲルは中国のことを「持続の帝国」と結論づけています。また中国の歴史家黄宗義も漢書を通読し、あまりにも同じ事の繰り返しが多いため正史を通読することを断念しています。

その王朝も漢民族だけではなく「元」や「清」などモンゴルなどの周辺の遊牧民族の王朝もありました。

そうした血で血を洗う政権交代の中で通常「歴史」は勝者の歴史として書かれ、敗者の歴史が残ることはありません。

しかし中国人の歴史観には独特のものがあります。
中国には「歴史教」と言ってもいいような歴史への強い信仰があります。

「古をもって鏡となす」とし「歴史は普遍であり、歴史に名を残すことに意義がある。」と考えています。

このため司馬遷は、烈士の名を残すため刺客列伝を書き、南宋の忠臣文天祥(科挙を主席合格)はその才能を惜しむ元のクビライの申し出を拒否し「忠誠を尽くして歴史を光照らす」と言い残し刑死しています。

このような忠義なる烈士の名を後世に残すため中国の歴史家は、二千年余りもの間、命を賭して歴史の真実を綴ったのです。

中国の歴史家は、時の権力者ではなく歴史教に跪いているのです。


しかし最近の数十年については、中国における歴史観が大分変質してしまっているようです。

外交政策としての歴史を中国が振りかざしています。
日本政府はただただ20世紀半ばの日本の過ちを謝るしか術はないかのようです。

でも中国は易姓革命の国ですから100年にも満たない「共産党王朝」もうたかたのごとくやがては歴史の中に消え去ることでしょう。

たぶんその時には「南京大虐殺」とか「盧溝橋」とかは、真偽に欠け、また歴史に書き記すほどの教訓もないので、中国の歴史家にとっては塵のような出来事となっていると思われます。

歴史教に跪く中国人にとって正史に記すべきこととは、共産党王朝が天命に従って正しく中国人民を導いたのかどうかということであり、毛沢東や鄧小平が行ったことを洗いざらい書き残すことでしょう。

もしかしたら次の王朝は「南京大虐殺記念館」を「文革虐殺記念館」にしてしまうかも知れません。

いずれにしろ、「歴史」に関する限り日本は共産党中国と折り合いを付ける必要はまったくなく、中国人民自身が正史を残すことをじっと見守ればよいのではないかと私は考えています。


 さて我が国はどうでしょう。

皇国史観を反省し自虐史観が現在の趨勢と言っても過言ではありません。

しかし千年前に書かれた恋愛小説「源氏物語」や、8世紀ころに天皇から庶民までの歌を採録した「万葉集」などは世界的にも誇れる文化です。

韓国の古典文学は15世紀にハングルが発明されてからですから、「独自文化」としては日本は500年以上も古い歴史があります。

多くの国民は自虐史観をおかしいと思いつつ周辺諸国の強弁に知識不足や自信喪失しているため反論出来ないのではないでしょうか?

 改正された教育基本法では「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し」としており、歴史教育を通じた愛国心の涵養と、他国への敬意の必要性を述べています。

我が国の歴史教育が充実発展することは喜ばしい限りですが、周辺諸国との軋轢は増加するかも知れません。

日中、日韓の間で正しい歴史認識が議論されていますが、歴史に正しさを求めることより、お互いの歴史と歴史観を尊重する態度こそが大切なのではないでしょうか。

参考
「絶対に正しい歴史などは世界のどこを探してもない。」宮脇淳子氏(歴史学者)


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