私の考えは、お金儲けだろうと何であろうと、その道を「極める」には「哲学」が必要だと気が付いたからです。
なぜ気が付いたかは・・内緒です。
「哲学」とはなにか?
ここでは、自分自身の経験から築き上げた人生観(世界観)だとしておきましょう。
さて宗久翁のおはなしの続きです。
第3章(売り)
米、段々上がるとき、諸国不時申し出し、大阪相場も加え、跡も引き上げ候沙汰、御蔵米など申し立て、なおなお上げ、人気も強く、我も買い気に付き候節、心を転じ売り方に付候事肝要なり。
是すなわち、火中へ飛び込む思い切り、一統騒ぎ立つ節は、人々西に走らば、我は東に向かう時は極めて利運なり。
意訳
米の値段がだんだん上がるとき、市場に活気があふれ、あちこちの市場の情報や大手の動きの情報などが乱れ飛んで、いよいよ相場が過熱し、参加者も増え、「我も我もと買いに付く」ようになると、これまでの考えを変え「売り方に付く」ことが肝要である。
なぜなら、火の中に飛び込む思い切りが必要だが、皆が皆騒ぎ立てているときは、人と反対のことをするときがもっとも儲けが大きいときなのである。
さて、「火中へ飛び込む思い切り」がそう簡単にできるとは思えません。
そこには透徹した眼力、相場観が必要だと思います。
そのためには、1章の格言を今一度噛みしめてみる必要があります。
「米の通いを考え、天井底の位を考え売買すべし。」
「図にあたる時を考え、売買すべし。」
「天井値段を見ることなり。」
天井値段が見えたなら、間髪入れず果敢に「火中へ飛び込む思い切り」で仕掛ける心構えが必要だと言っているのでしょう。
第4章(買い)
米段々下げ、上方相場替わること無く、諸国並びに最上払い物沢山の風聞、人気も揃い弱く、何程下がるも知れ難く、我が考えも弱かるべしと思う節、心を転じ買いに入るべきなり、この思い切り、海中へ飛び入る心持ち、はなはだ成りにくきものなれども、其の節疑いの気を生ぜず買うべし、極めて利運なり。下げと見込む時、思い入れの通り下がるものなれば心易きものなれども、人気下がると片寄る時、かえって上げるもの故、考えに及ばざるなり。上げも同断、すなわち海中に飛び込む心待ち、極意なり。
意訳
米の値段がだんだん下がり、堂島市場も下げ続け、全国に「売り注文」が山積みされているとのうわさが飛び交い、市場を「弱気」が覆いつくしてしまい、どこまで下がるのか分からなくなり、自分も弱気になってしまうときにこそ勇気を振るって、考えを変え「買い」に入るべきである。
流れに逆らい、思い切って海の中に飛び込むほどの勇気を出して、迷いを振り払い、一心に「買う」ことにより大変な利益が得られるものだ。
相場が下がると考え、思ったとおり下がれば簡単だが、人々が皆「売り方」一方に片寄ってしまうときには、返って相場は上がるものである。
予想通りに行かないのが相場なのだ。
だから、流れに逆らい、思い切って海の中に飛び込む勇気こそが極意なのである。
コメント
「火中へ飛び込む思い切り」「海中へ飛び入る心持ち」の裏には、宗久翁の緻密な「読み」と「リスクコントロール」があると思いますが、なかなかそこまでは私の眼力が及びません。
皆さんの研鑽を期待しています。
続く
投資の哲学(投資で勝つ方法)(その3)